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ダイバーシティをめぐる問いと考察

ダイバーシティをめぐる問いと考察

2021年は、日本で真の意味でダイバーシティが社会課題となった年だといえよう。

東京オリンピック・パラリンピックは色々な意味で象徴的であったが、コロナ禍で図らずも露呈した、昭和の価値観を引き摺ったリーダー層の弊害や、根深い女性差別の問題、専門家・実務家の集合知を、政治家が意思決定に活用できない状況は、日本の今の組織マネジメントにおける、リアルな多様性の欠如を示している。

ダイバーシティを考える上で、英タイム紙のコラムニスト、マシューサイドの新刊「多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織(原タイトルはRebel Ideas-反逆者の思考)」は、教条的なロジックでなく、面白く読めて深い問いを喚起する好著だ。

本書では、エリート採用で同質化したCIAの組織が、アルカイダの911テロの明確な兆候を見抜けなかった失敗や、多様なメンバーの視点が共有されず、多くの死者を出してしまった1965年のエベレストのロブ・ホール部隊の大量遭難死事件の失敗など、多様性の欠如が文字通り、命取りになった数々の事例が生々しく語られ、サスペンス小説を読むような面白さで事態の顛末を体感できる。一方第二次世界対戦で、ナチスの暗号解読に門外漢のクロスワード・パズルのチャンピオンまで動員して、専門家と全く違う心理学的な発想で見事暗号を解読し、3年は早く戦争を終わらせたイギリスの成功事例なども興味深い。

ダイバーシティをめぐる社会認識は国や価値観によっても異なり、しかも急速に変化しているためコンセンサスが難しいが、本書から、議論を深めるためいくつかの「問い」の視点を提示してみたい。

一つは、「多様性」は「能力主義」と対立しがちであること。多様性の議論の中で、属性に関わらず優秀な人を選べば良い、という発想はよく聞く通り。シンプルな目的、例えば400mリレーの走者を選ぶには能力主義は有効だが、現代のチームでの複雑な問題解決では、世界の捉え方や視点、本質的な価値観の違いを包含することが不可欠になっている。そして、能力を判断する者(既存の価値観の成功者)の立場自体に、無意識のバイアス(Unconscious bias)が存在するわけだ。

第二に、成果を出す上で「多様性」が大事だというロジックは、能力の高いことが前提の、多様な価値観の担保の議論になりがちなこと。Googleの組織マネジメント事例などはまさにそうで、多様性はある種の競争の厳しさを伴う。「意識高い系」に括られやすいのもそのせいだろう。能力的困難さやハンディキャップを抱える人の目線を持つべきなのは、社会の幸福や生きやすさの実現という、別次元の目的であることを認識することが必要なのだ。この点でダイバーシティとインクルージョン(包摂)は別概念である。

第三に、組織の多様性を活かすには多様なメンバーが集まるだけでは不十分(むしろネガティヴ)で、違う価値観を共有し、集合知を活用するリーダーシップ(支配的ヒエラルキーから、対等な尊敬型ヒエラルキーへ)の変化が不可欠であること。じっさい、長期雇用型の日本企業では、多様な人員を集めても、支配的ヒエラルキーで企業文化に同質化・クローン化してしまう問題が顕在化している。組織文化を強く共有したコミュニティにいるほど、多様性の欠如そのものに「単に気づかない」ことも多い。メディアも同様な状況かもしれない。現実は次第に変化しつつあるが、組織の流動性を高め、絶えず外部を取り込みながら「Rebel Ideas-反逆者の思考」をつくっていくことが鍵になる。

興味深いのは、「エコーチェンバー現象」と呼ばれる、所属する組織・コミュニティが大きくなるほど、人々の視野が逆に狭まっていくという、現代に起こりがちな現象だ。さまざまな研究データによると、規模の小さなコミュニティの方が、違う人とつながりを築く必要性が生じて、むしろ社会的ネットワークが広がるという。大きな組織では心理的安全性を確保するため、同じ価値観のグループに閉じこもりやすい。多様なビジネスマンが集まる交流イベントで、顔見知りとばかり話す経験はよくあるかもしれない。

そして近年SNSでネットワークが拡がる中、価値観の近いもの同士でつながってコミュニケーションを繰り返し、信念が強化・先鋭化されていくという、”政治的信条の二極化”が起こってしまうのも、心地よい共感性依存=「多様性の喪失」を促すAIのアルゴリズムの問題として捉える必要がある。

もう一つ、「多様性」という言葉を使う時、「標準/平均(マジョリティ)」と「偏差/外れ値(マイノリティ)」という発想で考えやすいことにも注意が必要だ。「標準/平均」概念に基づく、社会の構造自体が様々なマイノリティを規定してしまっているという前提に立ち、自身の固定観念や発想の枠組みを変えていくチャレンジが必要なのだ。さらに言えば「脱標準化・個人化」にこそ、これからの大きな価値創造と市場機会があるはずだ。