リスキリングを超えて:為末大氏著「熟達論」を読む

今年の夏はインプットのためたくさん読書の時間を持ちましたが、その中でも素晴らしかった一冊を。ご存じ走る哲学者、為末大氏著「熟達論」を、全国の長文ファンの一人として読んでみました。

為末氏は本書で「熟達とは人間総体としての探求であり、技能と自分が影響しあい相互に高まること」と定義します。それは人間性に根差し、人生をより良く生きるための目的、探求プロセスそのものであるというわけです。

そして「熟達」の概念を紐解いていくと、最近流行りのリスキリング・ブームが、いかに表層的な議論かにも気づかされます。

〜私は熟達こそが「人間にしかできないこと」を理解する鍵になると考えている。機械と人間の最大の違いは「主観的体験」の有無だ。私たちは身体を通じて外界を知覚し、それを元に考え行動している。思考し行動する部分はいずれ機械が行えるようになるかもしれないが、知覚は身体なしでは行えない。

自分の身体で外界と内部の変化も感じ取り、試行錯誤しながら上達し、上達している自分を内観する。この一連のプロセスから得る「主観的体験」こそが人間にしかできないことではないか。〜

〜熟達していく過程で、私たちは夢中という状態に入る。この状態では外界の感じ取り方も変容し、リアリティが一層高まる。熟達のプロセスで遭遇する夢中の瞬間こそが人間の生きる実感の中心だと私は考えている。それは他ならぬ「私」を通して、世界を感じていくプロセスでもある。〜

本書では、熟達への道を①「遊(不規則さと面白さを身につける)」②「型(型を身につける)」③「観(視覚ではなく全身で、関係と構造を観る)」④「心(中心を捉え、自在に自分を表現する)」⑤「空(自我がなくなり、言葉や価値観から解放された世界に到達する)」の5段階の探求プロセスで捉えています。

これらの抽象的な概念を、アスリート本人や様々な業界の熟達者の体験を通じてわかりやすく語る筆致は、借り物のないオリジナルな言葉に溢れて圧巻で、その考察は深く、現象学的考察の深淵領域に入り込んでいます。

最初はスポーツや職人など、身体的活動を中心とした熟達プロセスの話かと思っていましたが、「知覚」全てが身体行為であることを考えると(そもそも脳も身体だ)、いわゆる言語が中心の知的活動の熟達プロセス(結晶的知性にも関わる)にも当てはまることに気が付かされます。

私は全ての仕事を豊かにするのが「遊び」の要素だと思っているので、最初のステップが「遊」であるという定義も、非常に共感できました。

〜遊ぶとは広げる行為であり、秩序が固定される前にそれを壊す行為である。幅が広がり、違う展開を生む。それはある目的にまっしぐらに向かうより非効率に思えるが、後から長い目で振り返ると可能性を広げる行為になる。遊びがあるからこそ想像の壁を越えられる。熟達プロセス全体にとっての遊びの大事さが想像してもらえると思う。〜

一方、自分でも写真や料理・音楽など、仕事や趣味の活動をしている中で、遊びの自由さに寄り過ぎて「型」を学ぶことが不足しがちな点にも気付かされました。でも効率的に「型」を学ぶのではなく、時間をかけて試行錯誤しながら自分の型をつくる方が性に合っているのかも。

また、身体的活動であれ知的活動であれ、物事を理解・習得していくプロセスに言語は不可欠ですが、本書で為末氏は「身体を介した言葉」の重要性について語ります。

〜同じ「冬」という言葉を使っても、雪国で育った人と、南国で育った人では想起するものが違う。その言葉が引き起こすイメージは体験によって違うのだ。言い換えれば体験を積み重ねていくことで、言葉は豊かに変化し、その人でしかわからない意味を含んでいく。

〜では熟達プロセスでの言葉はどのように選んでいけばよいだろうか。なんの体験も思い出も含まない単語は、記号に過ぎない。その言葉が広がりと奥行き、言葉を投げかけた時に波紋が広がる感覚は、身体的な実感で得られる。自分の身体を介して得た言葉は、自分にとって確信に近い実感があるからだ。〜

これは旅や自然・人との出会いなど、リアルな体験による豊かな発見の学びの本質を捉えており、深く頷かされます。同じ言葉や文章を読んでも、人生の体験の蓄積によって、受け取るものは全く変わりますよね。

そして「諦めることで個性を活かせる」というくだりも、「心(中心を捉え、自在に自分を表現する)」に至る熟達プロセスに必要な、普遍的で重要な示唆に富んでいました。

〜個性を認識すると正常な状態が人によって違うことがわかるので、個性は偏りでもあるとわかる。それでも人はそれぞれの偏りの中で、中心を掴もうとする。個性を活かすには、自分の思い込みで長所や短所を決めつけず、特徴を特徴と捉えることが大事だ。しかし人には偏見があり、特徴を長所だ短所だと決めつけてしまいがちだ。

〜偏見から逃れるには、「諦める」という感覚が重要になる。諦めるという言葉は、仏教用語で、物事を明らかにするという意味を持っている。それは自分を卑下することでも、何かを断念することでもない。等身大の自分の特徴を受け入れることだ。〜

5つの探求プロセスの中で、最後の「空」の概念の言語化には特に努力がうかがえ、物語や比喩を通じてたびたび熟達者ならではの未知の体験に触れることができます。

文章やデザイン、音楽など創作をする人なら、自我を忘れて夢中になるときに飛躍が起きる、特別な時間を経験していると思いますが、ポジティブ心理学の中核的概念でもある、チクセントミハイの「フロー」概念の考察を、為末氏はさらに独自の言語化によって推し進めていると感じます。

最後に、子供が砂浜でお城を作り上げているエピソードで、遊びから自我の忘却までのプロセスを一瞬で捉えるエンディングも美しく、時代を経て読み継がれる名作の風格を漂わせています。ひょっとしたら人生を変えるかもしれない一冊としてお勧めです。