『CAPS LOCK』を読む:デザインは新しい社会的役割を果たせるか

ブランディングの仕事をしていると、時々メタ思考をする必要性を感じます。当たり前に行っている活動が、表層的な価値や短期的なアテンションになっていないか、時代環境が変化する中で本当に社会にとって本質的な価値や意義のあるものかを、見直すことが増えてきました。

今は気候変動危機や経済格差の拡大など、成長追求一辺倒の資本主義の深刻な矛盾が顕在化しており、ブランディングやマーケティングも前提を大きく捉えないと、時代遅れの近視眼的なアプローチになりがち。

たとえば日本では最も成功している業態のコンビニなども、24時間営業の電力消費にプラゴミ排出に食品添加物にフードロス、製品サイクル過剰にフランチャイジーの労働問題など、世界目線からは利便性追求の事業モデルに全く無理が来ており、今や変化の必要性が最も大きかったりします。

こうした観点で最近読んだ著作『CAPS LOCK: How capitalism took hold of graphic design, and how to escape from it』 (ルーベンペーター著/2021/未訳)は、資本主義に囚われた(CAPS LOCKされた)現代のデザイナーの立ち位置を客観視するもので、非常に考えさせられるものでした。欧米のデザインスクールの必読書的に読まれているとか。

本書ではデザイナーの社会的役割を、歴史を俯瞰しながら12の視点で章立てて語っています。最初の章では歴史の書記者としてのデザイナー(Designer as Scribe)の役割が語られるなど非常に興味深いですが、中でも”Designer as Brander(ブランドの作り手)”と”Designer as Salesperson(モノ売りとしてのデザイナー)”の章が強烈です。

現代の才能あるデザイナーが、消費を加速するためにロゴやキャンペーンを量産したり、季節ごとに過剰な新商品やパッケージや広告を作ったりと、いかに資本主義にクリエティビティを転換・搾取されているかを指摘しています。”クリエイティブである”ことの意味すら、欲望を喚起しモノを売る目的に変えてしまいながら、消費で自己実現できるかのような錯覚を生み出していく。新しく・クールであることへの強迫観念も、まさに広告代理店的文化ですね。

20世紀に大量消費社会が生まれる中で、P&Gに象徴されるブランドとマーケティングはモノの作り手と分断された消費者を創造し、実際の労働者などの生産者から匿名化された「ブランド」を通じて、価値のグローバルな移転と再生産を加速しました。ブランドオーナーは、製造プロセスを外部化して低コスト化しながらブランドの付加価値利潤を搾取し、また企業の指数関数的な成長のために、消費者の個人データをも収集しながらオートマティックに絶えず需要を刺激する、際限のないマーケティングが発展してきたというわけです。

東インド会社のCIから始まる(当初から植民地主義の手段だった)コーポレートアイデンティティの章では、企業ブランディングによって、人工的なブランドの個性を(株主目線の)振る舞いとして従業員に強制する欺瞞にも触れられており、また現代のカリスマ経営者型ブランドが、個人の神格化とともに多様な従業員個人の声を抑圧・無個性化しているかも考えさせられます。人的資本経営を唱えるならば、こうした議論もこれからのアジェンダにすべきでしょう。

また本書では “I NY”で有名な、NYCのシティブランディングの事例が取り上げられています。グラフィックデザイナー・ミルトングレイザーの手による無償のこのロゴは、アクターや歌手などが付けることで、市民の誇りとイメージを向上させるキャンペーンとして歴史的な成功をもたらし、多くの追随者を生みましたが、結果として富裕層や観光客の急増で不動産投資と地価上昇で住民負担が増加、貧しいアーティストや移民などが街を出ていくという急速なジェントリフィケーションをもたらしました。今や東京をはじめ世界中の都市で同様のことが起こっているように。

もちろん物事の変化には必ず良い面と悪い面がありますが、無自覚に資本主義の成長剤として機能することが目的になった、今のブランドやデザインのあり方を、改めて冷静に見直すためのメタ思考がより必要に感じます。

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そして本書の後半では、”Designer as Philanthropist(慈善家)”や”Designer as Futurist”、そして”Designer as Activist”といったデザイナーの新たな役割が語られ、社会にポジティブな影響をもたらすソーシャルデザインなどの取り組みアプローチに頁が割かれています。

ただし、そこでもIDEOなどの「デザイン思考」のもたらしたデザイン万能(テクノロジーと同様)の”ソリューショニズム”の弊害や顛末、最近のカンヌでも盛んなパーパス主導のクリエイティブの短期主義と自己満足(アワード志向など)、真の政治的・構造的課題から逃避などへの批判的思考は鋭く、無自覚のうちに資本主義にハックされた思考で仕事をするのではなく、実務者としてきちんと受け止めるべきだと感じました。

個人的には、教条的に既存の社会システムを否定・逃避するだけでは現実を変えていくのは難しいと思いますが、ブランドも目的やその概念を変えていくことで、新しい社会的役割を果たせると確信しています。

また、著者は自ら欧米的グローバル視点の限界(そもそもブランドもロゴも欧米的概念ですね)についても指摘していますが、多様化する社会で、ローカルアイデンティティを輝かせるブランドづくりのあり方などは、もっと取り組んでいきたい部分です。