先日あるワークショップで久しぶりに顧客のペルソナ検討の場を見ていたのだが、この一般化・マニュアル化された手法の孕む問題点に改めて気づくことがあった。
マーケティングやUXデザイン等のプロセスで、顧客イメージを一人の包括的な人物像として描き、チームで共有するために使われることが多いペルソナは、典型的な人物像を描く際に、実はジェンダーなどの属性やニーズ・価値観の無意識のバイアス(Unconscious Bias)を助長しがちな点に注意する必要がある。
統計的調査やインタビューを重ねながら、むしろ顧客イメージの先入観から外れる、リアルな個別解としての価値観や動機・課題を発見する意味でペルソナを活用する意味はある。
問題なのは、”マジョリティの””納得しやすい”イメージでユーザーを考えがちなことだ。これこそが確証バイアスやステレオタイプバイアスを強化する考え方だから(30代の働く子持ち女性は、Z世代は、リケジョは、団塊シニアリタイヤ層はこう、といったものも)。
今や雑誌などのメディアターゲットですら属性・価値観クラスターで語れない多様性を持つようになった(そこに固執するメディアが衰退している)時代に、マーケティング効率の観点から都合のいい「マジョリティ」「普通」の人物像に収斂させようとすることの問題点を認識する必要がある。例えば、多様なジェンダー、属性や価値観・嗜好性を持つマイノリティの視点でペルソナを描けるだろうか。
ステレオタイプ化の罠は、「普通」「標準」であることが良い、望ましいという価値観の縛りにもつながっている。精神科医で哲学者の泉谷閑示氏はこのように述べている。
”言葉の手垢というのは、言葉にくっついているある世俗的な価値観のことです。たとえば先ほどの「普通」という言葉の場合でしたら、「普通はいいことだ」「普通は幸せなことだ」という価値観が背後にある。そして、そう思っている人の中では「普通」は「多数派」と密接に結びついているに違いない。つまり、「普通」という言葉は、さらに「標準的な」「社会適応している」といった価値観をも含んでいるわけです。ある言葉が人を縛り付けたり固定したりするとき、言葉の何がその人を縛るのかというと、このように、その言葉にまとわりついている価値観や世界観のようなものが縛っているわけです。” 泉谷閑示『「普通がいい」という病』 (講談社現代新書)
先日の吉野家元常務発言の差別性と”古臭さ”は問題外として、現代において本質的な価値を持つブランドは、実際に多様な価値観を持つユーザーを包含し(インクルーシブ)、そのニーズや動機に応えている。
顧客像と認識変化のプロセスを描く従来のマーケティング活動を否定するものではないが、「効率的ターゲティング」から「多様な価値を認め、支援する」時代への価値創造の発想転換をもっと本気で考えたほうがいい、と改めて感じる。