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バウハウス(BAUHAUS)の今日的視点を巡る考察

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バウハウス(BAUHAUS)の今日的視点を巡る考察

仕事のコンセプトづくりで今さらながらバウハウスの思想と歴史を勉強し直していたら、2021年に出版された、伊藤俊治著「BAUHAUS HUNDRED 1919‒2019 バウハウス百年百図譜」という素晴らしい本に出会いました。現代視点からの探究が深く、デジタル・バウハウスなど今日に繋がる100年の系譜が俯瞰できる名著。

ウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動を源流に、20世紀初頭にアートとテクノロジー(工業技術)の融合を図り、設立後わずか14年でナチに廃止されながら、今日までのデザイン史に決定的な影響を与えてきた、ドイツの美術デザイン学校・運動体としてのバウハウス。ヴァルター・グロピウスやミース・ファン デル ローエなどを学長に、画家のクレーやカンディンスキーも教鞭をとった学校ですが、”バウ=建築”という意味から、有名なのに知っているようで意外に知らないことが多いことに気づきました。

例えば当時バウハウスの学生は、約1200名中女性が500名と半数近くを占め、女性の人権・職業差別が大きかった時代に、テキスタイルや家具・玩具デザイン、写真など、産業社会のクリエイティブ職能を通じた女性の自立に貢献したこと。また学生の国籍も29カ国と当時としては多様性が非常に高く、その中に日本人留学生が4人いたこと(うち2人は女性で、山脇巌夫妻など日本の芸術学校の開設・振興に尽力)。

そして同時期にベルリンに遊学していた名取洋之助が、バウハウスに大きな影響を受けて日本工房を立ち上げ、日本のデザイン・出版・写真・広告の創成期の著名人材(亀倉雄策や土門拳、木村伊兵衛、原弘をはじめ)を輩出してきたのは、業界人ならご存知の通り。

ドイツではバウハウスの閉鎖後に、第二次世界大戦、東西ドイツ分裂の長い沈黙の歴史を経て、1989年のベルリンの壁崩壊後に、ようやく本格的な資産と歴史的価値の再評価が行われるようになったこと。一方バウハウスの主要メンバーは皆アメリカに亡命して、シカゴにニューバウハウスを設立するなど、むしろアメリカで20世紀の工業・商業デザインに大きな影響を与えており(MITやハーバード大の建築学校など)、そこから20世紀のインターナショナル・スタイルになっていったこと(NYCのメットライフビルもグロピウスの作品)。

そして都市化の急速に進んだ20世紀初頭に、ヴァイマールからデッサウに移転して本拠地を置いたバウハウスは、(ドイツの田園都市構想に連なる)脱工業化社会の「反都市」の思想を育み、自然と対峙する場での創造と教育というコンセプトを持っていたことなど。

本書ではグロピウスなどに加え、ラズロ モホリ=ナジという、ハンガリー出身の美術教育家で、バウハウスの基礎教育のカリキュラムを組んだもう一人の影の立役者が詳しく取り上げられていますが、彼がまた実に興味深い(その後アメリカに渡ってニューバウハウスを設立する中心人物に)。例えば、人間の行為や表現は生命構造を核とし、技術も生命的に発展して現出するという、いわゆるバイオ(ミメティック)デザインの思想を当時から深く教育していたり。

また、工業化する中で失われる手工業の身体感覚を重視し、手という触覚を通じた様々な素材の加工で「アナログの価値」をトレーニングするカリキュラムを組んでいたりも。デジタルと生成AIで、さらに身体性を失いつつある現代に重要な意味を持つ取り組みを、すでに20世紀初頭に行なっていたことを再認識しました。学問研究ではないのですが、脱大量消費社会・ポストデジタルの「21世紀のバウハウス」を考えるのが最近のテーマです。